人付き合いに最適の人数がある?
狩猟採集を主とする集団の観察から、人間にとって自然に無理なくつきあえる人の数の限界は150人だといわれます。
この数字は、どのような種類の人間の集団でもある程度あてはまるようで、その人の顔と名前が一致する限界が150人あたりだということです。
お正月に年賀状を書くとき、仕事上のノルマとしてではなく、個人として年賀状を出す枚数も、確かに、そのあたりが限界です。
もし、この150人という数でさえ多いと感じたならば、それは、現在つくる「集団」の在り方が変わってきているのです。
「人様に迷惑をかけてはいけない」「世間の人に顔向けできない」という言葉は、もう昭和の時代とともに、私たちの脳裏から消え去ってしまいました。
我が国の教育施策として、20世紀末、「ゆとり教育」と同時進行的に、自分が一番、「人様」がどう思おうと、自分がイイと思える人生を歩むことが大切、という「自己本位の教育」がどんどん推し進められました。
しかし、自分一人でのびのびと生きていくということはじつは大変きついことだということを、多くの方がすでに気がついています。
いま、隣近所の助けなしで生きていかないといけない社会で「孤独死」の問題は本当に深刻化しています。
そもそも人づきあいの「大きさ」について、「医学的」にみるとどうなるのか、人間の脳が大きくなった理由として、たくさんの食べ物をとるためにどのようにして狩りをするか考える必要があったから、という説が挙げられています。
一方で、もう一つの有力な説として、複雑な社会をつくってそこでほかの人と同調して生きていく、いわゆる社会生活をちゃんと行えるようになるために、脳が大きくなったという考えがあります。
脳が大きい動物ほど、大きな集団をつくります。
この考えは、「社会脳仮説」とよばれています。
「社会脳」というのは、個々人の利益が短期的に犠牲にされても、長期的に社会としてより大きな利益が得られれば、結局そこにいる個々人もその恩恵に預かれる、という考え方がその本質です。
古来より、洋の東西を問わず「舌切雀」や「金の斧」などの昔話に出てくる「謙虚さ」という徳は、この「社会脳」から生みだされたのです。
こうして、医学的にみても集団はつくられるべくしてつくられたわけですが、ネットワークは3の倍数でつくられているといわれます。
最も親しい人の数は3〜5人。
親友中の親友、その人のためなら遠くでも駆けつけてあげられるし、お金も貸してあげられる存在のことを指します。
そしてその3倍は、3〜5×3=9〜15人。
その人が死んでしまったら、相当取り乱してしまう人数ということで「シンパシーグループ(共感できる集団)」とよばれています。
面白いことに、多くの団体競技の一チームの人数はこのあたりになっています。
さらにその3倍、15×3=45〜50人、50人は、オーストラリアの原住民アボリジニやアフリカのブッシュマンが集団で移動するときの人数だそうです。
そして50×3=150人となります。このあたりがネットワークの限界ということです。
7000人以上の人を対象に9年間追跡調査をした米国の研究で、こうした社会的なネットワークが強い人ほど、長生きであるという調査結果が発表されています。
地縁血縁関係が強い人ほど、長生きに有利になるのです。
これは、「孤独死」の問題のように、自分の体に何かが起こったときに、親しい人にすぐに助けてもらえるから長生きできるという単純なことではありません。
自分が病気になったときに、誰かがきっと助けてくれるという安心感に心が慣れるという要因のほうがより大きいのです。
さらに、友達がいれば、一人くよくよ悩んでいないで、そのことを聞いてもらうことでわかってもらえるし、話すだけでもある程度沈んだ気持ちを発散できます。
また、ほかの人も自分と同じように悩んでいるんだと思えれば、悩むことを止めることができるかもしれません。
結局そういった「自分と同じと思える仲間」を持つことで得られる安堵感そのものが、脳の時間の流れをゆったりとしてくれるのです。
赤ちやんは自分のものを人にあげることで共感できる仲間をつくることの達人です。
人間関係は煩わしい、ごめんだと匙を投げないで、5人から始めて、友達150人計画、実行してみます。
まずは、家に引きこもらないことで、外に出てほかの人と会うようにします。
サークル、ボランティア、同窓会、女子会などなど、思い切って自分に合った活動の場を広げるようにします。
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